転職の真相

営業所に押し寄せてくる顧客の対応もしなければなりません。
「これまで私どもを信頼してくれたお客様のためにも、全部きっちりとケリがつくまでは辞められないと思って頑張ったが、肉体的にも、精神的にも本当に辛い毎日だった」楽天家のKさんもさすがに疲労困懲。 それほど過酷な毎日でした。
その間、数回にわたって「早期退職者募集」が行なわれました。 第一次は人件費の負担が大きい管理職を対象に実施されました。
いい条件を目の前に提示され、自発的に辞めていった人もいました。 一方、できれば残りたいと思っていたものの、会社側の自らに対する評価や期待をくみ取り、不本意ながら身を引かざるを得なかった人もいたでしょう。
Kさんは、自分が誇りにさえ思っていた自社の素晴らしい人間関係が、バラバラに引き裂かれるような思いがし、悔しくてなりませんでした。 管理職以外では辞める人はまだほとんどいませんでしたが、「退職」とか「クビ」という言葉が社内でよく聞かれるようになり、少しずつ現実昧を帯びてきました。
第一次のリストラがあってから半年後の二00一年三月、第二次の「早期退職者募集」が実施されることになりました。 仕事にもちょうどケリがついたところであり、Kさんの心は、すでに辞める方向に大きく傾いていました。

人事担当者から呼び出しがあり、個人面談が行なわれました。 ところが、担当者の口から出たのは意外な言葉でした。
「君には再建にぜひとも協力してはしいんだ。 残って、頑張ってくれないか」しかし、それでKさんの心が揺れることはもうありませんでした。
「二日だけ、返事を待っていただけませんか」担当者へのせめてもの気遣いでした。 せっかく慰留してくれたのに、その場で断りの返事をするのは忍びなかったのです。
帰宅すると、Kさんは妻にいいます。 「会社を辞めることにした」結婚するまで同じ会社で働いていた妻は、「惜しいわね」といいました。
そして続いて投げかけられた言葉。 「でも、再就職は大丈夫なの?あなたに、できることがあるの?」思いがけない厳しい詰問でした。
冷静な上司に問い詰められたような気がしました。 自分の頭のなかでは、もっと楽観的に考えていたといいます。
「俺には二十三年の間に教えこまれ、積み重ねてきたものがあり、それはなんらかのかたちで残っている。 だから、働く場所さえあれば、名刺の会社名がどう変わろうと、Kという人間は変わらないんだから、きっとなんとかできる」とはいうものの、いままで転職など、ただの一度も考えたことはありません。

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